「一生に一度は行きたい世界遺産は?」こうしたアンケートで、ペルーのマチュピチュと並んで、常に上位1位2位を争っているのが、フランスのモン・サン・ミッシェル。これまでの経験と知識を基に、手作りのガイド『モン・サン・ミッシェル:21の必見ポイント』を作成し、ある年の夏、家族4人で訪れた。そして、訪問の一番の目的を、修道院でのミサに参列することとした。
全ての必見ポイントをご紹介することは紙面の都合上出来ませんが、そのいくつかを前編と後編の2回に分けてご紹介します。いつかモン・サン・ミッシェル に行きたいと思っている方には、早朝のミサに参列することをお勧めします。観光するだけでは決っして分からない、モン・サン・ミッシェル の本当の姿に触れることが、きっと出来ると思います。海に浮かぶ神秘の修道院へようこそ!
ミサに参列するためには、修道院の入り口で、ある「おまじないの言葉」を修道士に伝えなければなりません。ご希望の方にはそっとお教えします。もちろん仏教徒でもイスラム教徒でも誰でも参列できますよ。
➀ パリから特急列車(TGV)でレンヌへ。そこからバスに乗り継いでモン・サン・ミッシェルまで約3時間の移動。終点の村から対岸の島までは、もう目と鼻の先。2014年に完成した760mの橋を無料のシャトルバスで渡った。
➁ 憧れのモン・サン・ミッシェルに到着した喜びを、全身で表現するとこうなるのか?ちょっとオーバーな気もする。
③左) 島のあるサンマロ湾の潮の変わり目は激しく、干潮時には干潟を歩いて渡ることも出来る。昔の巡礼者は対岸の村からこの聖なる島を目指し、皆歩いて渡ったと言う。
④右) 大潮の満潮時には、魔物の手が押し寄せるように潮が満ち、わずか10分ほどで水没し、島は完全な孤島となる。広大な干潟を渡る途中で多くの巡礼者がこの海に飲み込まれたと聞いた。まさに命がけの巡礼であった。
⑤ ようやく修道院の入り口に近づくと、正面にフランス国旗、その遙か上に尖塔が見える。西暦708年、聖ミカエルのお告げで、この小島の上に礼拝堂が建てられたとの言い伝えがある。尖塔の上に置かれているのは、金色に輝く大天使ミカエル像。
⑥ 2つの門をくぐると、正面に第3の門(王の門)が現れる。敵の侵入を防ぐため、扉を鎖で吊った跳ね橋になっている。その手前の赤いテントが、名物ふわふわオムレツのお店「ラ・メール・プラール」
⑦左) 巡礼者向けの宿屋の女主人プラールお母さんが考案した名物の巨大オムレツ。少し焦げている、塩辛い、味がない、まずいとか言ってはいけない。すぐ出来て、温かく栄養満点、巡礼者にはそれだけで十分だったはず。
⑧右) その先が、修道院へ続く狭い狭いメインストリート。でも、通りの名前は「大通り(グランド・リュウ)」。両側には土産物屋が並び、昔は巡礼者が歩いたこの道も、今は世界中からの観光客で賑わっている。
⑨左) 混雑から逃れるため、大通りの途中にある、この島で一番狭い路地を通り抜けて、プラールお母さんの眠っているお墓へと向かう。道幅はわずか40cm、人とすれ違うこともままならない。
⑩右) ここが、島にある唯一のお墓。代々この島で暮らしていた人々のお墓とのこと。左手前の白い大きな十字架が、プラール家代々のお墓。
⑪左) お墓を抜けると赤い扉の「サン・ピエール教会」。この教会は漁師の守護神(聖ペテロ)に捧げられたらしい。さらに、この素朴な教会は、岩山を削って洞窟内に造られている。
⑫右) 正面扉の前には、英仏百年戦争の際に、大天使ミカエルのお告げを受け、フランスに勝利をもたらしたジャンヌ・ダルクの像。鎧を身に纏い、巡礼者達を静かに迎えてくれる。
⑬左) この教会の必見ポイントのひとつ「銀のミカエル像」。ミカエルとは、戦いを司るキリスト教の最強天使。神の武器庫から賜った剣を持ち、足元には退治したドラゴンを踏みつけている。これと同じ形をした金の像が、修道院の尖塔の上に置かれている。
⑭右) もう一つの必見ポイントがこの「ステンド・グラス」。これは魂の重さを量っている大天使ミカエルを表しているとか。愛にあふれて重たければ天国に導かれ、軽ければ・・・
⑮左) ピエール教会を出てすぐ「北塔」展望台に出た。英仏百年戦争でイギリス軍と戦っていたときは、要塞として、あるいは見張り台として使われていたに違いない。ここからの眺望は抜群だった。
⑯右) この辺りから見上げると、大聖堂の頂上も間近に見えてきた。明日はあの80mの岩山の頂に立つ修道院付属教会でのミサに参列しよう。
・・・後編に続く。
4号棟Yさんが地図を作成して下さいました。