グリーンヒル鴨志田西団地 オフィシャルホームページ

このホームページは、行事の案内や報告を中心に、会員の方が楽しんだり役立ったりする情報を掲載し、皆さんの生活に潤いを与えるものにします。

Kさんの西の国から(第8回)山の畑 開墾奮闘記

はじめに

 今年3月31日から20年近く放置していた山の畑(山林)の開墾に親戚の方の力を借り大人2人で着手しました。開墾理由は国産の漆の木を植えるためです。次女が漆芸作家をしており将来自前の国産漆を調達出来たらいいな、と考えた訳です。日本では国産漆はとても高価で手が出なく、もっぱら中国産漆を使っています。最近では中国の漆もどんどん値上がり傾向だそうです。

そもそも山の畑とは

 去る2004年9月29日、台風21号の記録的な豪雨で、当家の所有であった山の小屋もみかん畑も土砂で流され跡形もなく消え去りました。その後愛媛県から砂防ダムを作るため土地を分けて欲しいと要請がありました。

 2018年11月、西条市から地籍調査依頼があり、山の地権者一同が現地に集合。市や測量会社の方から個々の土地の境界の説明と立会いを経て、各自承認後署名捺印しました。

① 左上)現地に集う市、測量会社スタッフと地権者たち  ② 右上)密林と化した山の中を境界確認のため測量士さんの後に続く(2018年11月)

 地目は元々畑で登記されていましたが、現状の荒れ様を見た測量士さんから、山林に代えてもよろしいか打診され、全員異議なし! 即答しました。参加者の中には、今回初めて山の土地の存在を知ったという方もいました。

 開墾作業と同時に地籍図に記載された7カ所の境界杭(コンクリート、プラスチック杭)の確認作業(発見)は大変です。身長を超える深い雑木林に埋まった中での捜索ですから、まるで宝探しのようです。疑心暗鬼の捜索の中、発見できた時は嬉しくて大喜びしました。

③ 左上)身長を超える雑木林の中を格闘しながら開墾調査をして行く  ④ 右上)コンクリート境界杭(よくあるタイプです)  ⑤ 左下)プラスチック境界杭(かなり小さいです)  ⑥ 右下)地籍調査完了後作成された最新の地籍図です(参考1)

開墾道具の準備

 今年3月頃から山の畑の本格的開墾を始めるべく、先ずは道具の整備を行いました。実行して分かりましたが、開墾道具は鎌、ノコギリ、剪定バサミ3つがベストでした(⑦)。斧は重いだけで役に立ちません。仮払い機も使ってみましたが思ったほど役に立ちません。とくに斜面では両手ハンドルタイプは安定が悪くツーグリップタイプが安全です。開墾終了後の雑草対策にも使えます。

 ⑧右の鎌は昔から家の納屋にあったものです。持ち手は滑り止め用にゴムバンドを買って巻きました。作業の後は道具を研ぐ習慣が身につきました。⑧左は納屋にあった斧です。サビていたので、ついでに研ぎました。

⑦ 左上)開墾作業の3点セット  ⑧ 右上)斧(左)と鎌(右)の刃を研ぐ

 上の境界外の山林から直径30cm近い杉の大木が何本か境界内に雪崩れ落ちてきていたので、初めてチェーンソー(エンジン式)をネットで購入しました。届いた商品の取説は英語版でした😱 チェーンソーは、ZATUBOKU会でMリーダに何度か教わりながら木屑の掃除をした経験があり、違和感なく組み立て使用出来ました。初めて木を切りましたが、何とか無事に使っています。早くZATUBOKU会のTさんのように上手くなりたいものです。

いよいよ開墾を始める

 道具一式を揃え、開墾作業を今年の3月末から親戚の人と二人で開始しました。

⑨ 左上)開墾道具一式を積み込んでいざ山へ!  ⑩ 右上)ドーム状のイノシシの寝座(ねぐら)がたくさんありました🐗

 作業は下から順に上の境界まで進めます。斜度は優に30度近くあります。登るほど斜度は上がり、踏ん張ると爪先に荷重がかかり、足が痛くてたまりません。

 何十年も放置した畑(山林)は、全面イバラの木で覆われて行く手を阻みます⑫。鎌で撫で斬りしながら少しずつ進むのですが、茎は粘くて弾力があり、滑って中々切れません。集中しないと、勢い余って手足を切る怪我も起きるので、慎重な作業が必要です。イバラが相手の開墾は初めてだったので、薄着のせいで服の上からイバラのトゲが体のあちこちに刺さり、チクチク痛くて痒くて、手足はじんましんの様に赤く腫れました。「イバラの道」とはよく言ったものです😭

⑪ 左上)境界外からの杉の太い倒木をチェーンソーで切りました  ⑫ 右上)難敵のイバラです😓

 あと悩ましいのが雑木林を包み込むように縦横に絡みついたツルです⑬。足を引っ掛け歩行を妨げ開墾を妨害するツルは、丈夫でイバラ同様しぶとい相手です。黒竹や笹も苦労させられます。とにかく忍耐あるのみ、一歩ずつ焦らずやるしかありません😥

 開墾作業を開始して一ケ月強の5月1日時点で、作業日は16日×4h=64hとなり、粗方敷地全体の密林(雑木林)の撤去作業が終わりました⑭。この後は切り倒した木や枝葉の整理、倒木の片付け、散乱した石垣石の整理、抜根、雑草刈り、敷地斜面の道づくりなど地道にやって行こうと考えています。

⑬ 左上)木々に絡まり開墾を妨げるツル  ⑭ 右上)敷地全体の開墾作業が終了した最新の状況です(5月15日撮影)

開墾作業を終えて

 作業の合間にとる休憩時に、山から流れてくる涼しい自然の風は、汗をかいた体には何とも言えない心地よさを感じます。日々山に入ることで自然と腕力、足腰が鍛えられます。メタボ解消には最適の運動になります。

 何よりご飯が美味くなりました\( ˆoˆ )/ 

 山の力に感謝ですm(_ _)m

 漆の他にもいろんな木を植えたいと思います。生来食いしん坊ですから果実のなる木は是非とも植えたいですねえ😋 ちなみに最近植えた苗を紹介します。夏が楽しみです。

⑮ 左上)スイカの苗🍉 3かぶ植えました(^^)  ⑯ 右上)マクワウリ(金太郎)の苗 2かぶ植えました 

山の畑からの眺め

 開墾した山の畑からぐるっと見渡した景色を紹介します。小さい頃からみかん畑の手伝いで🍊何度も見た景色です。

 先ず、北西側を望むと中央右にこんもりした高い山が見えます⑮。高峠城があった高峠です。その下には四国縦貫道(高速道路)が東西に走ってます。右が高松方面で、峠の向こう側は瀬戸内海を臨む道前平野が広がり、西条市内になります。

⑮上)  北西側風景;中央右のこんもりした山は高峠城があった高峠

 天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で、総大将小早川隆景率いる数万の大軍勢に対し、地元金子城主金子備後守元宅らは高峠城に籠り勇猛果敢に戦いました。城を焼き払い、手勢を率いて野々市が原に打って出て、討ち死にしました。現在、野々市が原古戦場・千人塚の地は「千人塚史跡公園」として整備されています。

 一方南側の風景⑯ですが、四国山脈方面に向かっての大きな景色が楽しめます。右奥方面が、西日本最高峰の石鎚山(1982m)の登山口に繋がります。残念ながら石鎚山は畑からは見えません。

⑯上)  南側風景;右手奥が石鎚山方面です。左手さらにパンしますと西条市内方面です

          以上 元鴨志田西団地住人 西の国から便りのKより

 

参考1)地籍とは

 「地籍」とは一筆ごとの土地の所有者・地番・地目・面積・境界等の土地情報のことで、人でいう「戸籍」に当たるものです。私たちの「戸籍」は市区町村役場で管理されていますが、「地籍」は法務局(登記所)において管理されています。

 地籍調査とは国土調査法に基づき一筆ごとの土地について、地番、地目、境界を現地調査し位置・形・面積を近代的な方法で測量し、正しい地籍図と地籍簿を作成するまでの一連の作業を「地籍調査」といいます。

 地籍調査が行われることにより、その成果は法務局に送られ、登記簿の記載が修正され、地籍図も更新されることになります。

 地籍調査の効果は①土地財産の保全②災害復旧の迅速化③森林管理の適正化があげられます。

参考2)山の畑の位置

 Kさんの山の畑のおおよその位置は、下図の②の位置です。①はKさんの自宅、③は高峠、青の矢印は石鎚山の方向を示しています。