グリーンヒル鴨志田西団地 オフィシャルホームページ

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Oさんの写真で巡る世界の旅 第11回(フランス編 その3 ヴェルサイユ宮殿)

 フランス革命記念日(7月14日)の翌日、私の足はヴェルサイユ宮殿に向かっていた。そう、フランス革命が勃発するまでの約100年間、政治や文化の中心としてヨーロッパ全土にその名を轟かせた、ルイ王朝の栄華を象徴する壮麗な王宮と庭。そして、フランス革命のもうひとりの主役、マリー・アントワネットの生涯に思いを巡らしてみようと思い立った。革命から数年後、かつて結婚式で民衆が祝祭した同じコンコルド広場で、断頭台の露に消えた、その悲劇の王妃と言われた38歳の短い生涯を。

 娘や妻の影響で、宝塚歌劇『ベルサイユのばら』は、何度か鑑賞したことがあった。今回は気ままなひとり旅で時間もたっぷりあったので、宝塚の舞台を思い出しながら、100万㎡以上もある広大な庭園を隅から隅まで、一日掛けてゆっくり歩いてみた。王妃の後ろ姿を追いかけるように。

 

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➀ パリ市内から電車で約40分。ヴェルサイユ宮殿の最寄り駅に到着。駅から宮殿までの1.2kmの道のりは、パリとは異なる風情が漂っている。そして、ここが宮殿の正門。太陽王(ルイ14世)の象徴(太陽と王冠)と、フランス王朝のシンボル(百合の花)で飾られたきらびやかな門柱が、私を出迎えてくれた。

 

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➁「有史以来、最も大きく、最も大きな宮殿を!」という若き太陽王ルイ14世の一声で、この宮殿の建設が始まったと言う。1,400もの噴水を配した、フランス式庭園の最高傑作と言われているのも頷ける。宮殿の裏には、幾何学模様の庭が完璧に配置されていた。

 

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③ 総部屋数700を超える宮殿の中でも、圧倒的な存在感を放っているのが、ここ『鏡の間』。この部屋で夜な夜な華麗に舞う、マリー・アントワネットの姿を想像してみた。第一次世界大戦の終わりを決めた「ヴェルサイユ条約」も、この部屋で調印されたらしい。

 

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④ 『鏡の間』の庭園側には、アーチ型の大きな17の窓があり、たまたま開いていた窓から外を覗いた。泉水の向こうには、大運河が果てしなく続いていた。その距離1,800m。王や王妃達も、踊り疲れた時に、この景色を眺めたのだろうか?

 

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⑤ 外に出て、泉水越しに宮殿を振り返ってみた。フランス国旗の下辺りが、さっきまで居た『鏡の間(回廊)』。泉水の周りに配されたブロンズ像は、フランスを流れる四つの川(セーヌ、ローヌ、ロワール、ガロンヌ)と、その支流を表しているのだとか。

 

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⑥ 更に進むと、1,400ある噴水の一つ『ラトナの噴水』。中央のラトナ像(太陽神アポロンの母親)の足元の蛙や亀は、神の怒りに触れて姿を変えられた、貴族や村民達を表しているらしい。自分たちを苦しめた者は許さないという、ルイ14世の強い意志が伝わってくる。

 

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⑦ 『ラトナの噴水』の先には大運河が見え、東西に真っ直ぐ中心線が延びているのがよく分かる。元々、近場に水のなかったこの地に、遠くセーヌ川より水を引くことにより、自然をも従わせる自身の力を誇示したかったのだろう。正にここは「噴水庭園」だ。

 

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⑧ 大運河に沿って先を急いだ。堅ぐるしい宮廷のしきたりを嫌って、自由な田舎暮らしを求めたマリー・アントワネット。その心情を知りたいと思った。宮殿本館とは正反対の、素朴な藁葺き屋根が連なる「王妃の村里」を目指した。とにかく広く遠かった。

 

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⑨ 一時間以上歩いて、ついにマリー・アントワネットが農村生活を楽しみ、こよなく愛した村里に着いた。右側の建物が「王妃の家」。豪華絢爛な宮殿本館とは正反対の、静かな村里だった。ここで王妃は心安らぐ日々を過ごしていたらしい。何故に?誰と?

 

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⑩左) 池の周囲に全部で12軒の藁葺き屋根の小屋があり、その一つの玄関脇に、凜とした男の彫像が置かれていた。台座の文字は判読出来なかったが、それがスウェーデン出身の貴族(フェルゼン)であることはすぐに分かった。宝塚の舞台がここから始まる。

⑪右) 小川沿いに立つ白大理石の神殿「愛の殿堂」。コリント様式の12本の円柱と丸天井、中央にはキューピッドの像。ここが、マリー・アントワネットとフェルゼンが、逢瀬を重ねた場所だったらしい。この日も、一組の男女が階段で語らっていた。

 

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⑫ マリー・アントワネットが唯一心を許した恋人と穏やかな日々を過ごした村里を離れ、再び大宮殿の出口方向に向かった。美しい並木と12体のギリシャ神話の神々が、帰路についた私を見送ってくれた。持参した万歩計を覗いたら、30,000歩を優に超えていた。ヴェルサイユの森は深く広かった。

 

4号棟Yさんが宮殿内の撮影場所の地図を作って下さいました。