グリーンヒル鴨志田西団地 オフィシャルホームページ

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Oさんの写真で巡る世界の旅 第20回 『京の夏、圧巻!祇園祭』

 以前、このコラム(第14回)で「京都祇園祭」が世界三大カーニバルのひとつだと書いたら、多くの方から異論・反論・オブジェクション(抗議)がありました。それでも毎年夏になると私の耳元には(♬コンコンチキチキ コンチキチン♬)の祇園囃子が聞こえてきます。今年もまた。

 今年は3年ぶりに「山鉾巡行」が復活するとのニュースが流れてきました。

 何でも、過去に山鉾巡行が途絶えたのは1467年に勃発した「応仁の乱」が理由で、その次が今回の「コロナウィルス」による中止だとの噂が、京都ではまことしやかに囁かれているそうです。京都に住む孫娘に会うためと言い訳しつつ毎年のように上洛し、撮り続けた「祇園祭」。千百年以上の伝統ある祭りの熱気をお伝え出来れば幸いです。

 この団地にも京都ご出身の方が沢山おられると思います。都人(京都人)の皆様からの厳しいご批判は甘んじてお受けする覚悟です。

 

➀ 貞観11年(869年)、全国的に疫病が流行した際、神輿(みこし)を神泉苑(今の八坂神社)に送り、災厄の退散を願ったのが「祇園祭」の始まりと言われている。7月17日の前祭(さきまつり)と7月24日の後祭(あとまつり)に、合計34基の山鉾が都大路を練り歩く。目の前を千百年の歴史が通り過ぎるような山鉾巡行は「祇園祭」最大の見せ場だ。

 

➁ 八坂神社境内の「舞殿」に鎮座して巡行の日を待つ3基の神輿。通りかかった地元の方がさらに詳しく教えてくれた。「もともと祇園祭は八坂神社のご祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)、その奥さんの櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、お子の八柱御子神(やはしらのみこがみ)の魂を、3つの神輿に移して氏子の暮らす街中を通らはって、厄を祓(はろ)てもらうという神事なんですわ。」

 

③ 続けて「そやけど人間界は何かと汚れている。まずは神さんの通らはる道を清めんとあかんやろ、と言うことで氏子の町衆が綺麗に飾られた山や鉾を先に巡行させて道中を清める。しかる後、主役のお神輿がおんなじ道筋を巡る。7月17日に、神さんが八坂さんから街なかに出てきはるんが前祭(さきまつり)の「神幸祭(しんこうさい)」。24日に八坂さんへ帰らはるんが後祭(あとまつり)の「還幸祭(かんこうさい)」。そやさかい、山鉾巡行は言ってみれば神さんの露払いのようなもんやな。」なるほど。

 

④左) 前祭(7/17)の一週間ほど前から、山鉾町ごとに山や鉾の組み立てが始まる。路上で繰り広げられる、釘一本使わない伝統技(縄がらみ)は、見ているだけでも面白いもの。写真は「月鉾」の組み立て風景。

⑤右) 祇園祭の期間だけ締めるという、舞妓さんのだらり帯の柄も山鉾。独特の髪型「勝山(かつやま)」も祭りの期間だけ限定の髪型らしい。見られたらラッキー!

 

⑥左 & ⑦右) 巡行の前日(7/16)は「宵山」。宵山の晩は、コンチキチンの祇園囃子に、粽(ちまき)売りの少女達の歌声が重なる。「♬雷除け 火除けのお守りを 受けてお帰りなさいましょう。常は出ません今晩ばかり。厄除け粽 受けてお帰りなさいましょう。縁結びのお守りも どうですか・・♬」昔から京都の若い娘の間では、宵山にデートすると結ばれるというジンクスがあるらしい。歩行者天国に夜店が並び、駒形提灯にあかりが灯り、人が通りを埋め尽くす賑わいは、ドイツのクリスマスマーケットに似ている。 ちなみに駒形提灯の模様は八坂神社の御神紋。輪切りにしたきゅうりの断面に似ていることから、「祇園祭」の期間中は「恐れ多い」として、京都人はきゅうりを食べないらしい。

 

⑧ いよいよ巡行の朝。祇園祭の神事で重要な役割を担う稚児(ちご)が登場。中でも毎年先頭を行く「長刀鉾(なぎなたほこ)」に乗る稚児は、現在唯一の生稚児(いきちご)。その他の山鉾に乗っている稚児は全て人形。その生稚児が、四条麩屋町に張られた注連縄(しめなわ)を、太刀をかざして切り落とすのが「注連縄切り」。その瞬間を撮影したくてこの場所に朝の5時から陣取っていた。『いよいよこれから祭りが始まる』、『ここから山鉾が神域へ進む』、ということを伝える重要な行事。

 

⑨ 「船鉾」の出陣「曳き初め」。「エンヤラヤー!」のかけ声と共に動き出した。神功(じんぐう)皇后が崩御した天皇に代わり、懐妊中の身で海外出兵を指揮したとされる逸話にちなんだ鉾。船の形をした「船鉾」が常に巡行のしんがり(一番最後)を行くことが昔から決まっているらしい。前祭の船鉾は(出陣の船)と呼ばれ、後祭に巡行する大船鉾は(凱旋の船)を表しているとか。

 

⑩ 山鉾(大船鉾)が四条河原町の交差点にさしかかると、囃子方、音頭取り、車方、曳き手の心がひとつになって総重量12トンの曳山の方向転換「辻回し」が行われる。このとき見物客の興奮も最高潮に達する。

 

⑪ 巡行前の数日間は、一般の見物客も拝観料を払えば鉾に上がることが出来る。山鉾の中でも最も古く創建されたと言われ、「くじ取らず」で、常に巡行の先頭を進む「長刀鉾」に上り、鉾の上から四条大通りを眺めてみた。今更お稚児さん(8歳から10歳の男児の中から選ばれる)にはなれないが、とても気持ちの良いものだった。

 

⑫ この「長刀鉾」は女人禁制のため女性は鉾の上に上がることは出来ない。町内の寄り合いや、囃子の練習、ご神体や懸装品を飾っている「町会所(ちょうかいしょ)」の2階渡り廊下の向こう側から、山鉾に上がった男子を恨めしげに覗いていた。ジェンダーが叫ばれる令和の時代にも、こんな伝統が残っていることに驚いた。

 

⑬左&⑭右) 巡行する山鉾の前後左右に飾られている懸装品はまさに動く美術館。中国やベルギーで制作された豪華なタペストリーもある。左は江戸時代を代表する画家、伊藤若冲の絵を元に完成した「長刀鉾」の「旭日鳳凰図」つづり織り。 右は「放下鉾(ほうかほこ)」のローケツ染め「バグダット」。どちらも豪華絢爛だった。

 

⑮左) 肩車をされて山鉾巡行を遠くから見ていた少年がいた。いつの日か自分があの鉾を引き、山を担ぐことを夢見ているに違いない。

⑯右) 大勢の見物客の熱気に圧倒され、町屋の細い路地に入って休んでいた。ふと振り向くと夏の光の中を大きな山鉾が通り過ぎていった。京都にいることを実感した。

 

⑰ いよいよ男衆の出番だ。威勢のよい「ホイット!ホイット!」のかけ声に合わせて、東大路通りを行く八坂神社のご祭神「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」の分霊を乗せた「中御座神輿(なかござみこし)」。最初にかけ声を聞いたときは「ファイト!ファイト!」と聞こえたが、それは間違いだと京都に住む友人が教えてくれた。

 

⑱ 17~24日の間、3基の神輿が鎮座している四条寺町の「御旅所(おたびしょ)」。この間は、八坂神社の御祭神が神輿に乗ってここにご滞在されている。7日7晩ここでお参りすれば願いが叶うらしい。その際、知人に会っても一切口をきいてはならないと。だから、これを「無言参り」とも言うらしい。どうりで早朝や深夜にお参りする人が多かった。

 

⑲ 「御旅所」に8日間ご滞在された3基の神輿が、7月24日に再び京の街中を練り歩いた後、夜、八坂神社に還る神事が24日の「還幸祭」。八坂神社石段の最上段に座り、3基の神輿が次々とこちらに向かって戻って来る様子を飽かずに眺めていた。四条大通りを埋め尽くした大群衆を見ていたら突然、ニューヨークのカウントダウンの夜を思い出した。

 

⑳ 八坂神社の境内に戻った3基の神輿は、「舞殿」の周りを3周「ホイット!ホイット!」と最後の声を張り上げて周り、再び舞台に鎮座された。そして神輿に宿っていた3柱の神の魂が、真夜中の0時、真暗闇の中で再び八坂神社本殿に還される「御霊移しの儀(みたまうつしのぎ)」。勇壮にして厳かな神事であった。

 

㉑ 町衆の心意気がひとつになって夏の都大路を彩る山鉾巡行。そして勇壮な神輿が街中を練り歩く「神幸祭」と「還幸祭」。それが終わると京都の暑い夏も終わりを告げる。八坂神社の上に輝く月明かりも心なしか寂しげだった。

 

 

編集部より

  中欧の悲惨な状況もあり、筆を取ることができないとの話をOさんから伺っていましたが、継続を期待する声がある中、今回特別に日本の話題を投稿してくださいました。祇園祭の趣旨は今のコロナ禍に通じているのですね。

Oさんが早く欧州の話題に触れられる日が来ることを願っています。