グリーンヒル鴨志田西団地 オフィシャルホームページ

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Kさんの西の国から(第4回)母校の野球部が決勝進出

 季節は秋の10月となりましたが、愛媛はまだまだ暑い日が続きます。その様な中、我が母校西条高校野球部⚾ が第74回秋季四国地区高等学校野球愛媛県大会で久しぶりに準決勝進出。居ても立っても居られず松山市の坊ちゃんスタジアムへ応援に行ってきました。

 西条市から松山までは約50km、高速道路で1時間以内で行けます。重信川の河川敷にある広い中央公園に、プロ野球の公式戦が可能な両翼99m・中堅122mの広さを持ち、3万人収容可能な四国最大の球場があります。 2000年5月に完成し、名前は公募で決まりましたが、夏目漱石のお陰で、覚えてもらいやすい名前だと感じています。 

 四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツの本拠地ですし、プロ野球の公式戦が毎年のように行われる他、東京ヤクルトスワローズの秋季キャンプやプロ野球選手の冬の自主トレ地としても利用されています。

 

[準決勝戦]102日(土)

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①左)駐車場からテニスコートの脇を通ると、奥に見える坊ちゃんスタジアム。

②右)斬新な幾何学的デザインが一際目を引きます。

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③左)地元松山商業高校の女生徒さんが切符販売をしていました。かつて「夏将軍」の異名を全国に轟かせた高校野球の伝統校なのです。

④右)入場記録表に体温など記載してから切符を買います。コロナ対策も万全です。

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⑤左)雲一つない抜けるような青空、10月とは思えない真夏日で気温30度超え。場内アナウンスで熱中症注意喚起していました💦 暑い😵 9回試合終了までネット裏に陣取り水分補給を怠り軽い熱中症になりました。
⑥右)試合前のシートノックです。相手の力量を図り合いますから油断できません。

 

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⑦左)試合前ミーティング、皆な真剣な表情です。

⑧右)いざプレイボール⚾ 相手校は第1シードの松山学院高校です。因みに西条は第4シードです。

 

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⑨左)今では当たり前の光景、お揃いの格好で応援する野球部員の父兄たち。
⑩右)大きなカメラで選手たちを記録撮影するマネージャーかな?

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⑪左)2-0で完封勝ち。明日は念願の決勝戦です⚾ 球場で聞く短い母校の校歌は格別です🎶
⑫右)県内の各地方大会を勝ち上がってきた高校です。松山商業はもちろん、済美高校も良く知られているのではないでしょうか。

 

[決勝戦]10月3日(日)

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⑬左)そして決勝戦の日となりました。ネット裏にはマスコミ陣もたくさん来ています。

⑭右)決勝戦に相応しい1点を争う投手戦好ゲームです⚾

 

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⑮左)9回ツーアウト、勝ったと思ったが残念!同点打浴びて延長戦へ。連投疲れで連打を浴び延長11回5-1で負けました。

⑯右)一般応援席の父兄やOB達も残念。

 

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⑰左)表彰式。準優勝の表彰状と盾をいただきました。

⑱右)選抜大会歌「今ありて」🎶 が流れるなかグラウンドを行進しました。よく頑張った!堂々と胸を張って⚾

 

[後記]

 この後は来年選抜甲子園の出場枠を目指して今月23日から始まる四国大会に出場します。母校は4年振り17回目の出場です。愛媛は優勝新田高校、準優勝西条高校、3位済美高校3校が出場します。

 

 かつて四国は野球王国⚾ と言われました。記憶に残る数々の名勝負を繰り広げてきました。多くのプロ野球選手を輩出しました。

 母校OBでは元巨人軍監督藤田元司さん、元NHK高校野球名解説者として優しい語り口で有名だった池西増夫さんがいます。

 池西さんは高校時代藤田元司さんとバッテリーを組んでいました。社会人野球で大活躍されました。今も亀生堂(和菓子屋)のご主人として元気に過ごされています。現役選手では阪神タイガースの秋山投手が活躍しています。

 

 母校は昭和31年以来、計12回甲子園へ行っています。特に、昭和34年夏の甲子園決勝戦では、宇都宮工業と延長15回を戦い全国優勝しました(^。^)。 ただ、平成21年夏の甲子園から現在まで暫く遠ざかっていますので、どうか来年の選抜切符をもぎ取ってもらいたいものです。 (了)

 

 

場所の地図を4号棟Y氏が提供してくれました。